「認知症」の介護というマラソンをどう走るのか。

CC BY 2.0 / Robert Couse-Baker

東日本大震災から6年が経ちました。多くの人の目が被災地に向いますが、被災地に住んでいなくても、大震災を機に大きく人生が変わった人も多いと思います。

自分の家族の場合、東日本大震災をきっかけに「認知症」の介護というマラソンが始まりました。

そのきっかけは福島にいる叔父が福島原発事故のために避難をしてきたこと。福島で仲間ががんばっているのに自分だけ逃げられないという叔父と、どうなるかわからない原発事故を怖れて東京の息子のところに身を寄せたい叔母との押し問答が1週間ほど続きました。

その際、多くの墓石が倒れた墓場の写真を叔父が見せてくれました。翌日、自分の家の墓は大丈夫かと気にした父が墓に行くと言い出します。普通ならクルマで送るところですが、ガソリンもなかなか手に入らない状況でしたし、父と母が自転車で行くことになりました。墓の方は何ら被害がなく大丈夫だったのことですが、父が帰り道で自転車で転倒。頭を強打して脳内出血で病院に運び込まれました。

病院に入院した父は認知症のような症状を見せ始めます。その後、内出血の方は症状がよくなりますが、認知症の進行は止められず、自転車も乗れなくなり、歩行も徐々に困難になり始めます。何を聞いても「わかんないんだよな~」が口癖となり、幻覚も見るようになります。そしてまた、犬の散歩をしていて転倒し、今度は顔を強打して何針も縫うけがを経験します。こうして認知機能が低下し、動くことも困難になってきた父を介護したのが母でした。

母は最後まで在宅介護にこだわり、父が施設に入居することをなかなか納得しません。姉の協力も得てなんとか説得して父の施設への入居が決まります。母が父を風呂に入れ、のぼせた父が倒れ、自分では対応できなくなるなど、在宅介護の難しさに気づいたこともあったようです。

母はその後、父を施設に送り出したことを後悔するようになります。活動的だった母が「父が大変なのに遊ぶなんて!」と自宅に引きこもりがちになります。父の介護で苦労して来た母にやりたいことをして欲しいと願ったことが逆に母のやりがいを奪ってしまったのかもしれません。そうして次は母に認知症の症状が出始めます。

父は認知症で施設に入り、その介護をしていた母に認知症が発症しました。こうしてうちの家族は二人の認知症者と向き合うことになりました。いつ終わるかわからないマラソンを走るような感じと言ったらよいかもしれません。母からもらったバトンを持ち、途中で倒れたり、棄権したりしないように、エネルギーを蓄え、カラダの状況を見ながら走っていく。ひょっとして誰かにバトンを渡すということも必要になるかもしれない。自分でちゃんと走れてるかわからなくなったら、恥ずかしがらずにSOSも出さなきゃいけない。

我が家のマラソンは東日本大震災をきっかけにスタートしました。このマラソンはランナーの変わるような形でずっと続くのかもしれません。だからこそ自分のペースを持って走らないといけない。なんとなく被災地支援にも通ずる話のような気がします。

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